妙高に抱かれ、風となる。


  • 隆子夫人とペンションのカウンターで。故郷鹿児島の焼酎も並ぶ

妙高に恋している

男性と女性が出会い、一生続く関係となるように、人と土地の間にも同じような出会いがある。敷根俊一さんと妙高の関係だ。もともとは鹿児島生まれ。京都と大阪の大学で学び、広島市役所に勤務していた。それが37歳のとき、ポンと妙高市にやってきた。仕事を辞め、自然の中で暮らすために。
「原点に戻りたい、と思ったんです」と、敷根さんは言う。登山好きの少年は国立公園のレンジャーに憧れ、大学院で造園学を専攻した。就職は広島市役所の公園関係の部署へ。そのかたわら、ずっと山登りを続けていた。市役所の山岳部にも入っていた。自分の軸足は、山に置きたい。そんなことを思い始めた頃、妙高でペンションをやらないかという話が来た。名だたるスキーエリア。ブームだった。シーズン中一生懸命働けば、雪のないときは好きな山登りができる。
そして、一生の伴侶となる妙高へ。本当の伴侶である、隆子夫人も伴って。だが、読みは外れた。妙高に来た直後にバブルが崩壊し、スキー人口は減少の一途をたどる。ペンションにかかった借金を抱え、食べるためにいろいろな仕事もこなした。そんな中で、夏の魅力に気づいた。登山をずっとやってきたから、いろいろな山や自然を知っている。妙高って、実は凄いところじゃないか。「四季のメリハリが強いんです。いきなり雪が降って冬になり、いきなり花が咲く春になる。日本百名山の妙高山と火打山がある。妙高に恋をしている自分がいました」。その恋心は、今でも続いている。しかし、地元の人々にはそれらのチャームポイントが見えていなかった。

よそ者だからできたこと

「生命の源」のほとんどの市町村は、上信越高原国立公園に含まれている。妙高市も、そのひとつだ。しかし国立公園であること自体、あまり認識されていなかったという。「よそ者の方が、いい所が見えやすいんですよね」。夏の妙高の魅力を説き、山登りやトレッキングのガイドも務めた。そして1999年、仕事としての自然や登山のガイドを行う「妙高高原山里案内人会」の立上げに参加し、2006年にそれをリニューアルした「妙高自然ソムリエ」を設立。妙高の四季を存分にまた安全に楽しんでもらうために、仕事としてのプログラムツアーを提供し始める。自然ソムリエとは、まるでソムリエがワインを薦めるように、訪れる人の目的に合った自然の楽しみ方を提案しアドバイスも行うシステムと組織だ。その過程で「ガイドを育成し、若い人たちの仕事の場を作りたい」という気持ちが強まる。2010年、NPO法人「妙高自然アカデミー」を設立し、若者を中心とした自然・山・里のガイド育成にも力を入れてきた。しかし、育成された自然のプロたちが妙高に定着するには、そこに仕事が発生しなければならない。行政も動いた。気付いた、と言うべきか。全国各地の旅行商談会にも、今まで以上に積極的に出展するようになり、夏場の客足は増えた。合宿地としても人気が高い。それは、雇用の場を確保されることにもつながる。
「私たちは、メンタルな部分でも自然の力を借りて生きているんです。妙高は林野庁から『森林セラピー基地』に認定され、笹ヶ峰高原など6か所がセラピーロードになりました」。敷根さんいわく、「見ただけで『いい所』とわる」場所ばかりだ。癒し効果が注目されている針葉樹や広葉樹が、人々の心を解放する。せせらぎからの水音が、気持ちを洗う。まさに、山と樹木と川が一体となって我々を取り込んでくれる。
外からの人間である敷根さんが、この土地に風を入れた。それが新たな「風土」となる。この風土から芽吹いた若木が、徐々に太くなっていく様子を見守っていきたい。期待を込めて。


  • 森林セラピーのマップを広げる。
    お気に入りは笹ヶ峰高原だそうだ

  • 神奈川県在住のアメリカ人常連客と。敷根さんと陽気にやり取りしていた

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